「学校」はなぜあるの?①

不登校のお子さんの数や、いじめの数、荒れている学級の数が増えているという記事をよく見かけます。

その原因に関する考察については、「なるほど」と思うものもあれば、「?」と感じるものもあります。

私が現職の時に一番大切にしていたのは「授業」の時間です。一人一人が考え、やり方をつかみ、「できた!」と実感できる学習の流れを心がけていました。

学校生活の中で一番時間が多いのは、もちろん「授業」の時間です。一日の中の割合としては、おうちの方と過ごす時間より多いかもしれません。

そんな「授業」の時間に、「わかる人手を挙げて~はい、正解(そして先生による解説)」といった流れが続くとしたら、子どもはどうでしょう。わかる子は、その後の解説はただただ退屈な時間。わからない子は、わからないから解説を聞いたって何が何やら…意識は遠い世界へ…そして次第に答えを教えてもらうのを待つばかりで自分で考えないようになっていきます。答えを待つのは良いほうで、わからなくてつまらないから、しゃべってみたり、大声を出したり、教室を飛び出したり…でも、そういった行動は「授業がわからない・つまらない」といった気持ちをゆがんだ形であれ表現している場合もあるのです。

また、そういった授業には、「先生は、分かる人とだけ授業を進める」「わからない子には発言権が認められない」「一生懸命考えても正解を出さないと意味がない」などといった、負の教えも隠されているのです。一日の大半そんな教えにさらされているのに、「みんな仲良く」「協力して」「友達を見下さない」なんて実行できますか?そんな学級の道徳では、先生が望むような意見を出すことが主になってしまい、実行力は伴わないことも…。

やっぱり、学校生活の中では、「授業」の時間が肝になると思うのですが、いかがでしょうか?

…ですが、私のやり方に「考えさせないで、ぱっとやり方だけ教えてほしい」という意見もでたことがあります。…ショック~。意見はありがたいのですが、一斉授業の難しさ、学校のあり方を考えさせられました。

じゃあ、学校ってなんであるの?続きは次回に。



Studyell Muro

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